沿革

1 芦屋市スポーツ協会の創設

 芦屋市スポーツ協会は、戦後間もない、1948年(昭和23年)11月「芦屋市体育会」として発足しました。
 当時、施設もなく、道具にも苦心した時代でしたが、精道国民学校の校庭で開かれた憲法公布記念運動会や、阪神間が中心となって行われた第1回国民体育大会がきっかけとなり、徐々にスポーツ同好者が集まり、組織化の機運の高まりのなかで生まれました。
 翌年の2月に、名称を「芦屋市体育協会」と改めています。

2 創設10周年までの歩み

 創設後は、協会の円滑な運営のため、部会を設けて、行事の計画や企画を行うようになりました。主な活動にヨットハーバーの誘致や、当時の芦屋市では唯一の市営スポーツ施設「山手体育場(相撲場)」の建設の推進に尽力しています。
 また1956年(昭和31年)11月に開催された第11回国民体育大会秋季大会の誘致では先導役となり、芦屋市と連携しながら取り組んでいます。

3 創設20周年までの歩み

 芦屋市体育協会は、20余の種目協会を統合し、常に市民の立場から、各種の研究調査を進め、各種目団体との連携を図りながら、年度ごとに活躍した役員や選手の表彰などを行っています。これらの活動の功績が認められ、1963年(昭和38年)10月、山口県で開催された第18回国民体育大会秋季大会で、文部大臣(当時)、日本体育協会から表彰の栄誉を受けました。また、1965年(昭和40年)の芦屋市制25周年では市長表彰を受けました。

4 創設30周年までの歩み

 1969年(昭和44年)11月には、戦後、市民の健康増進、スポーツ・レクリエーションを振興してきた業績が讃えられ、市民文化賞を受けました。
 加盟種目協会は21種目となり、市民体育祭を主管し、市民スポーツの推進の中心的役割を担ってきました。また各種団体やスポーツ愛好者からの強い要望に応えて、市民体育館の建設に向けた調査や推進を積極的に取り組んでいます。

5 創設40周年までの歩み

 1987年(昭和62年)に、総務部会(諸規定・規約・表彰・会計に関すること。)、事業部会(事業の企画・立案・実施に関すること。)、広報部会(広報・宣伝・体協だよりの発行に関すること。)の3専門部会を設置し、活性化を図っています。
 創設40周年を迎えた芦屋市体育協会は、芦屋市立体育館・青少年センター前に、アメリカ杉を記念植樹を行っています。

6 創設50周年までの歩み

 1994年(平成6年)5月、芦屋市・芦屋市教育委員会主催で開催された「国際チャレンジデー」に、芦屋市体育協会は、芦屋市・芦屋市教育委員会と連携し、市内の諸団体と協力しながら、準備段階から積極的に取り組み、遠く離れたカナダのナナイモ市を対戦相手に、スポーツを通じて国際交流を図っています。
 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)により、芦屋市立体育館・青少年センターをはじめ市内の施設が損壊するなどの被害を受けましたが、復興助成金を設け、活動の場を失った種目協会への援助を行っています。
 1997年(平成9年)、創設50周年を迎える芦屋市体育協会は、記念事業として「第9回さくらまつり」に「手作り餃子」で出店参加していますが、各種目協会から300名を超える会員の協力が得られ、50周年記念事業にふさわしい取り組みとすることができました。
 また「50周年記念誌」を刊行しています。

7 創設60周年までの歩み

 2005年(平成17年)9月、芦屋市体育協会は、特定非営利活動法人芦屋市体育協会として新たな歴史を歩き始めることとなりました。
 2006年(平成18年)から、芦屋市立体育館・青少年センターなど市内の体育関連施設の指定管理者として、施設の管理運営を行っています。
 また、この年の9月30日〜10月10日にかけて開催された「第61回国民体育大会 のじぎく兵庫国体」において、芦屋市ではライフル射撃競技とカヌー競技が行われましたが、1,300人の市民ボランティアと共に競技運営の会場での受付・案内、駅での案内、休憩所での選手接待、会場美化、開会式、表彰式運営アシスタントなどを務めるなど、大会運営に積極的な役割を果たしています。
 北京オリンピックが開催された2008年(平成20年)、芦屋市体育協会は、創設60周年を迎え、9月に記念式典を開催しています。また「60周年記念誌 -50周年から10年の歩み-」を刊行しています。

8 創設70周年までの歩み

 2019年(令和元年)11月「70周年記念誌 -60周年から10年の歩み-」を刊行しています。

9 未来に向かって

 2022年(令和4年)10月、芦屋市体育協会は名称を「芦屋市スポーツ協会」と改めました。